singular points…特異点における日常の風景

 

Thursday, February 26, 2009

人口統計が答えを出したぞっとするような将来

「ゼロ成長時代をもたらす根本原因は、人口統計が変化して労働人口が減少することである。(中略)こうした予測が悲観的すぎると思うなら、1990年代の日本の不調を思い出すことだ。成長率は1980年代の4%から1990年代には1%に落ち込んだ。犯人割り出しに何人も面通しする必要はない。悪事をはたらいているのは不利な人口統計なのだ。生産年齢人口は減少してきていて、その減少の見通しが投資を押し下げている」(ポール・ウォーレス『人口ピラミッドがひっくり返るとき 高齢化社会の経済新ルール』より)

[戦後最悪不況]
 サブプライム・ローン問題が起こったとき、日本は、アメリカやEUに比べて不良債権の被害が最も少ないので、経済はさほど落ち込まないと予測されたにもかかわらず、GDPの下落幅は先進国最大となっている。この謎を解くために、例によってたくさんの経済学者がさまざまな回答を寄せているが、わたしに言わせれば、最も的確な答えは、10年前に出版されていたポール・ウォーレスのこの本に全部出ている。すなわち、原因は合計特殊出生率が1.3前後と低い日本の人口構成にあるのだ。
 また、エマニュエル・トッドのみが今回の大恐慌を見事に予言したが、それもトッドが人口統計学者だからこそ可能になったのである。

 しかし、こういってもピンとこない読者が多いだろうから、ものすごくわかりやすい比喩を使ってみよう。
 いまここに、一人息子を持つAさん夫妻と一人娘を持つBさん夫妻がいるとしよう。合計特殊出生率というのは女性一人が一生に生む子供の数だから、この例はいささかも例外的なものではない。次に、この二組の夫婦の子供が結婚して世帯を設け、統計通りに子供を一人作ったとする。
この段階ですら、危機は顕在化するはずだ。なぜならAさん夫妻とBさん夫妻がともに亡くなったとき、子供世代の夫婦は親たちが所有していた二つの家は必要ないから、一つを処分しようとするだろう。ここまではなんら特別なことではない。
 特別なのは、人口構成にしたがって、同世代の日本人が「全員同じ行動」に出ることだ。結果は火を見るよりも明らかである。不動産の「半分が同時に不必要」になるのだから、不動産価格は半分どころか1/4に下がっても売れないということになる。とくに、郊外、および地方の落ち込みは激しい。
そして、これまでに開発された不動産の半分が不必要になれば、それに伴って、すべてのモノ、要するに一家に一台必要だった車、家具、電化製品等々の半分が不必要となる。
 しかし、これはあくまでも実需の話で、経済は、予測によってスパイラル的に動くから、落ち込みは半分などという規模では済まなくなる。
 さらに追い打ちをかけるのが、次の世代においてもまた一人っ子が成長し、他家の一人っ子と結婚し、また一人っ子を作ることである。1/2掛ける1/2の計算ですでに1/4になっていた人口は、ひ孫世代では、今度は1/4掛ける1/4で、なんと1/16に減少するのである。こうなったらもう、年金とか、景気云々をいっている段階ではなくなるはずだ。文明の崩壊である。
 このように、人口統計的に見ると、日本の政府が輸出がダメなら内需拡大を、と例によって呼びかけているのはまったくのナンセンスということになる。輸出にシフトしてなんとか持ちこたえていたこの5年の間に国内の人口構成はさらにイビツになり、生産年齢人口は一段と減少したのだから。

 というわけで、日本に「前倒し」的に起こっていることは、今後2、30年に起こること(人口のスパイラル的減少による文明の崩壊)の予感的前兆であり、決して一時的なものでもない。では、どうやってこれをくい止めたらいいか? 絶望的なことに、人口減少が続く限り打つ手はまったくないようだ。げんに、2008年ノーベル賞受賞者となったポール・クルーグマンの考えを10年も前に援用して、ウォーレスはこんな予想を立てている。
 「クルーグマンは、不利な人口統計が日本を【ケインズのいう流動性の】落とし穴にはめたと考える。ぞっとするような質問を彼はなけかけた。日本の状況はよその国でも起きる問題の前触れではないのか、と」
 すべては人口統計で決まる。これが最新の社会科学が出す最終的結論のようである。
(鹿島茂「引用句辞典 不朽版」毎日新聞2009年2月25日朝刊)

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Tuesday, February 24, 2009

村上春樹からのメッセージ

【村上春樹「エルサレム賞」授賞式講演(全文)】

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。 

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。
 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)

http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

※エルサレム賞…個人の自由などをテーマに優れた作品を発表した作家に贈られるイスラエルの文学賞。
エルサレム賞は、イスラエルが首都と定めるエルサレムの市長が任命した選考委員会が決定。村上春樹さんについて「芸術的業績と人間への愛に深い敬意を表する」とし「作品にヒューマニズムが明確に反映されている」ことを授賞理由とした。
イスラエルでは「ノルウェイの森」など村上さんの数作品がヘブライ語に翻訳され、人気作家として定着している。エルサレム賞はこれまで米国の劇作家アーサー・ミラーのほか、ノーベル文学賞受賞者の英哲学者バートランド・ラッセルらに授与された。(共同通信)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090216/acd0902160135001-n1.htm

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