singular points…特異点における日常の風景

 

Saturday, January 29, 2011

引用句辞典≪不朽版≫ 「財政破綻危機」

保険料アップは禁句 近代民主国家という会社

「19世紀末より民主主義が台頭し始めると、これまで家庭内で行っていたサービスが公共サービス(教育費・医療費・年金)となり、これを公的支出でまかなうようになった。(中略)すなわち、政府とは、対象とする被害を明確に定めない保険会社のようなものである。(中略)さらに、政府にとっては、収入を増加させるより、支出を増加させることのほうが容易である。(中略)これとは逆に、公的支出の削減には、既得権者を説得するための莫大な努力と勇気が必要であり、これはきわめて困難な作業である。(中略)ようするに、公的予算は、構造的に赤字となることが必然であり、増税によってしか公的予算のバランスを取ることができない。(中略)われわれの社会は、さらに自由でありたいと願うことから、社会全体でリスクを引き受けることに対して躊躇するようになった。財政赤字や公的債務は、こうした証しとも言える。また、公的債務は、国家が担うべき役割に関する社会的コンセンサスの弱さを計測するモノサシでもある。政治的には、公的債務とは、政治を動かす者が、現実を無視して夢を語る虚癖の現れである」

(ジャック・アタリ『国家債務危機』林昌宏訳 作品社)

公的債務900兆円を抱えた日本の未来を危ぶむ声が日増しに強くなってきた。ソブリン・クライシス(国家財政破綻)のXデーも秒読み段階に入ったと主張する者もいる。また、さらにそこから一歩踏み込んで、国家破綻を前提として議論を進めるべきだという者も少なくない。どうせ破綻するなら日本に体力が残っているうちにという早期破綻論者さえ現れている。

ようするに、国家債務900兆円になると、もはやいかなる工夫を凝らしても返済は不可能だから、早晩、財政は破綻せざるをえないということなのだが、では、いったい、こうした財政破綻を招いた犯人はだれかということになると、これがどうもはっきりしたことはわからないのである。

つまり、気づかぬうちにいつのまにかそうなっていたというのが正解で、だれが犯人というわけでもないのである。

そのことは、サルコジ大統領の諮問機関「フランスの経済成長を促すための委員会」(通称アタリ政策委員会)委員長ジャック・アタリのこの本を読むとよくわかる。

アタリによれば、一国の豊かさが増し、資本主義と民主主義が発展して国民ひとりひとりが自由になりたいと望むと、必然的に大家族から核家族へ、核家族からシングルへの移行が起こる。しかし、そうなると、それまで家族が引き受けていたサービス、すなわち教育、医療、介護、年金などが「面倒くさいことは嫌いだ」という理由から、全部アウトソーシングされることになる。いいかえれば、国家というのは、国民から税金という保険料を取ってサービスを代行している保険会社のようなものなのだが、この「国家保険会社」は民間企業と違って、決定的な構造的欠点を持っている。

それは、保険料(税金)の値上げに応じないなら、保険契約にある義務は履行しないよ、とは言えないことである。増税に応じない人の家のゴミは回収しないとか、強盗に襲われても助けに行かないとか、国家や自治体は絶対に言えないのだ。

しかし、国家保険会社の構造的欠陥は、じつはその部分にとどまらない。

本当の構造的欠陥は次の点だ。保険料のアップ(増税)を言い出すと、そのとたん、保険契約者(国民)が国家保険会社の経営陣(政府)の退陣を要求しだすばかりか、株主総会(総選挙)で議決権を行使して、経営陣の総退陣を決定してしまうのである。

このように、近代的民主国家とは、保険契約者がその会社のトップを交代させる権利を持つ特殊な国家保険会社なのだ。

ゆえに、国家保険会社の社長(首相)にとって、保険料の改定を言い出すことはタブーになるから、必然的に社債(公債)に頼らざるをえない。保険料の改定を言い出したとたんに自分の首が飛ぶことがわかっているのだから、社債頼みになるしかないのだ。

かくして、国が豊かになり、国民が選挙権を行使するようになると、公的債務はそれに比例するように増大する。

国家財政破綻、それこそが豊かさと平等の報酬なのである。

(鹿島茂・仏文学者、毎日新聞2011年1月26日 朝刊21面)

0 Comments:

Post a Comment

<< Home