singular points…特異点における日常の風景

 

Thursday, November 25, 2010

引用句辞典≪不朽版≫ 「バラ色の未来予測」

中国も遠からずフツーに 楽観論にほっとする

「人間が、より正確に言うなら、女性が読み書きを身につけると、受胎調整が始まる。現在の世界は人口学的移行の最終段階にあり、2030年に識字化の全般化が想定されている。1981年に世界全体の出産率指数は、まだ女性一人に対して子供3.7だった。このような高い出産率だと、地球の人口は急速に拡大することになり、低開発状態の継続という仮定は真実と考えられていた。ところが2001年に、世界出産率指数は女性一人に対して子供2.8に落ちたのである。(中略)これらの数値からすればもはや明確に想定できる将来、おそらくは2050年には、世界の人口が安定し、世界は均衡状態に入ることが予想できる」

(エマニュエル・トッド『帝国以後ーアメリカ・システムの崩壊』石原晴己訳 藤原書店)

エマニュエル・トッドの『帝国以後』は、「アメリカ帝国」が見かけに反して経済的にも軍事的にもきわめて脆弱であり、両面からの崩壊は避けられないだろう、と2002年の時点で予言した本として話題を集めたが、本当に重要なのは右(上)に掲げた長期的な展望の方である。

というのも、ジャーナリズムで支配的な悲観的未来予測に真っ向から逆らうように、トッドは女性識字化と受胎調整の進展を根拠にして「バラの未来」を描いてみせているからだ。『世界の多様性ー家族構造と近代性』(荻野文隆訳、藤原書店)の結びでは、「あまり遠くない将来、完全に識字化された世界、つまり無知から解放された世界をかいま見ることができる」と断言し、人口や経済の難問は識字化と受胎調整の進展ですべて解決されるだろうと予想している。そして、最後に高らかにこう宣言するのである。「世界の歴史で特徴的な瞬間となるこの未来の瞬間は、文字の発明から人類全体がそれを習得するまでの数千年に及ぶ長期の学習の終了を意味する。それは人類の長い幼年期の終わりを印すものである」

「ほんまかいな?」と思わず半畳を入れたくなるような楽観論で、これだけを取り出したのでは、まことに能天気な未来予測に見える。しかし、トッドの著作を精読してみると、本当にそうかもしれないと思えてくるのである。

以下、私なりにトッドの主張をまとめてみよう。

まず第一段階。民衆、とくに男子が読み書きと計算ができるようになると、必ずや社会は経済的なテイクオフへと向かう。経済のグローバリゼーションも識字化された労働力を低賃金で雇う「利潤の最適化の技法」にほかならない。

しかし、この段階はそのまま希望と豊かさの実現には通じない。親が非識字階級で息子が識字階級という断絶は社会を不安定にするからだ。文化的・精神的テイクオフは移行期の危機、すなわちイデオロギー的暴発を伴うものと決まっている。イギリスの清教徒革命に始まり、フランス革命、ロシア革命、日独伊のファシズムを経て、戦後の学生反乱から、イスラム圏における原理主義革命に至るまで、イデオロギー的な騒乱はすべてこの「移行期の危機」属している。しかしそれは退歩ではなく、一時的な現象に過ぎない。

なぜなら第二段階として、女性の識字化に伴って受胎調整が始まり、出生率の低下を見ると、社会は急に「おとなしくなり」、最終段階として平和な民主主義に向かうからだ。男性の識字化→革命と動乱→女性の識字化→出生率低下→民主主義的安定化というシェーマ(図式)は普遍的とは言えぬまでも、かなり標準的で、イスラム圏やブラック・アフリカとて例外ではない。

「メディアが倦まず(うまず)弛まず(たゆまず)描き出して見せる危機や虐殺は、大抵の場合、単なる退行的現象ではなく、近代化の課程に関連する過渡的な変調なのであると。そして混乱ののちには、外部からのいかなる介入もない場合には、自動的に安定化が到来するのだと」(『帝国以後』)

なるほど、トッドの理論通りだとすると、暴発気味の中国もすでに女性の高学歴化が進み、受胎調整は社会に行きわたっているから、近いうちに「おとなしくなる」。イスラム圏も女性の識字化が進んだ国から順に社会の沈静化が始まる。

本当かしら? にわかには信じ難いが、予想確率ナンバーワンのトッドの言葉だから、信じてもいいような気もするのである。たまには、強力な楽観論があってもいい。

(鹿島茂・仏文学者、毎日新聞2010年11月24日 朝刊18面)

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