singular points…特異点における日常の風景

 

Thursday, March 24, 2011

引用句辞典≪不朽版≫ 「東日本大震災」

「嘔吐」から「ペスト」へ 究極の不条理とどう戦う?

「結局?」とタルーが静かにいった。

「結局……」と、医師は言葉を続け、そして、なおためらいながら、じいっとタルーの顔を見つめた。「これは、あなたのような人には理解できることではないかと思うのですがね、とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで」

「なるほど」と、タルーはうなずいた。「いわれる意味はわかります。しかし、あなたの勝利はつねに一時的なものですね。ただそれだけですよ」

リウーは暗い気持ちになったようであった。

「つねにね、それは知っています。それだからって、戦いをやめる理由にはなりません」

「たしかに、理由にはなりません。しかし、そうなると僕は考えてみたくなるんですがね、このペストがあなたにとってはたしてどういうものになるか」

「ええ、そうです」と、リウーはいった。「間際なく続く敗北です」

(中略)

「誰が教えてくれたんです、そういういろんなことを?」

答えは即座に返ってきた―

「貧乏がね」

(アウベール・カミュ『ペスト』宮崎嶺雄訳 新潮文庫)

 

人間の想像力というのは限定されたものである。

2011年3月11日以前には、学生たちにこの『ペスト』を読ませても、≪ペスト≫が何を意味するか、あるいはペストが蔓延するオラン市の絶望的状況の中で孤独に戦う医師リウーの言葉を「実感」として理解できる学生は、ほんの一握りでしかなかった。

だが、いまは違う。≪ペスト≫の意味する不条理が何であるか、また戦いが「間際なく続く敗北」であることを知りながらも戦うことをやめないリウーの気持ちを理解しない学生は、一人もいないだろう。いや、いまの日本人なら全員がリウーの言葉を瞬時に理解できるはずである。

これほどに世界はたったの一日で劇的に変わってしまったのである。

3・11以前、日本はむしろサルトルの『嘔吐』の世界であった。バーチャルな人工的環境で育った日本の無数のロカンタンたちは、豊かさが提供するあらゆる「ひまつぶし」に倦み、そのあげく「剥き出しの木の根っこ」という本物の現実と接し、それをたまらなく不気味なものと感じて、ついには嘔吐にまで至るのが常だった。つまり、パリの石造建築の無菌的環境に育ったサルトルの脅えを「わがこと」のように感じるレベルまで日本の文明化は進んでいたのだが、その文明は東北・関東での大地震と大津波、それに続く原発事故によって脆くも崩壊し、カミュの『ペスト』の世界がいきなり現出したのである。

そして、この日本版『ペスト』の世界では、リウーに刺激されて保健隊を組織したタルーのように、ボランティアがたくさん現れてくることだろう。それは素晴らしいことだ。だが、私はそのボランティアに対して称賛記事を捧げるであろうジャーナリズムに対し、あらかじめカミュが『ペスト』の中で「筆者」として物語に介入して述べている次のような言葉を伝えたいと思うのである。

「筆者はむしろ、美しい行為に過大の重要さを認めることは、結局、間接の力強い賛辞を悪に捧げることになると、信じたいのである。なぜなら、そうなると、美しい行為がそれほどの価値をもつのは、それがまれであり、そして悪意と冷淡こそ人間の行為においてはるかに頻繁な原動力であるためにほかならぬと推定することも許される。かかることは、筆者の与しえない思想である。(中略)善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。(中略)最も救いのない悪徳とは、みずからすべてを知っていると信じ、そこでみずから人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬのである」

つまりカミュは≪ペスト≫的な不条理と戦おうとすると、≪ペスト≫よりも悪いスターリニズムというスーパー不条理を呼び込んでしまう危険性を警告しているのである。

では誰がこれを教えてくれたのか? カミュは即座に答えるだろう。「貧乏がね」と。

貧困という不条理と戦ったことのない今の日本人の中から、地震・津波・原発事故といった究極の不条理と戦える指導者が現れるのだろうか?

(鹿島茂・仏文学者、毎日新聞2011年3月23日朝刊)

 

Tuesday, March 01, 2011

引用句辞典≪不朽版≫ 「頭山満の卓見」

右翼思想で解読する問題先送りの日本的構造

「吾々(われわれ)が人間に生まれて、一人前になつて生きて行く事が出来るのはみんな吾々の親様たちの御蔭(おかげ)である。

同じ様に日本国民が今日のやうに栄えることが出来たのは万世一系の天子様のお蔭である。天子様は日本中の大親様である。

日本中のものは吾々も身も魂も、髪の毛一本でも天子様のものである。大切にしなければならぬ。此の心が忠であり孝である。

西洋の道徳では自分の身体も魂も自分のものと云ふことになつて居る。だから自分の勝手にしてよろしい。自分の好きな事をしてよろしい。他人のことは構わないでよろしいと云ふことになつてゐる。それでは人間では無い。獣とおんなじである。その通りにしたら世の中はメチャメチャである。だから法律といふものを作つてドウヤラ、コウヤラ纏まつた国を作つてゐる。これを個人主義と云うのだ。

その獣のやうな心から西洋の国々は飛行機とか、毒瓦斯(ガス)とか云うものを作つて、そんなものを持たない弱い国々を取らうとしてゐる」

(夢野久作「頭山満先生」 『頭山満言志録』書肆心水収録)

 

ここ数年に読んだ本の中で最も強い啓示を受けたのが、夢野久作要約するところの頭山満の右の思想である。といっても、私が皇国史観の信奉者になった、などとは誤解しないでいただきたい。私がひどく感心したのは、ここに展開されている社会の二通りのイメージの捉え方である。

すなわち、頭山満のイメージでは、日本の社会というものは万世一系の天皇家を大親様(共通の祖先)とする巨大部族集団である。今日的な理解でいえば、共通のDNAを持つ、遺伝子的に統合された集団ということになる。だからして、日本人は親からもらった自分の身体も魂もみな大親様(天皇家の祖先)から引き継いだ大切なものとして、それを自分の一存では処分できないものと考えてきた。

これは私の理解では「細分化された自我のポーション(割り当て)のほとんどが親や親族、地域共同体、天皇に帰属しているために、自己に属するポーションをほとんど有しない自我」ということになる。自我を一つのパイに譬(たと)えれば「自我パイ一人食い不許可型」である。これは相互依存社会であり、相互監視社会であるから、法律を設定して利害衝突を仲裁する必要もない。むしろ、ゆるい規範としての道徳があれば足りる。

これに対し、頭山満のイメージする西洋社会というものは遺伝子的統合のない、DNAのバラけた社会である。したがって、子は親からDNAを受け継いでいるとは思わず、いわんや大親(共通の祖先)への帰属意識も希薄である。その結果、各人は「自分の身体も魂も自分のもの」と考え、親や祖先に気兼ねせずに処分できるものとみなす。すなわち、自我というパイの全部を自分で食べることのできる「自我パイ一人食いOK型」である。

しかし、全員が「自我パイ一人食いOK型」では、ホッブズのいう「万人に対する万人の闘い状態」になり、社会の秩序が保たれなくなるから、利害衝突回避のために社会契約を結ばなければならなくなった。ゆえに、「自我パイ一人食いOK型」の社会には法律が不可欠であり、彼らが国外に出ていくときにも、この法律優先主義が幅を利かす。

では、こうした頭山満的社会二分類法のどこがおもしろいのか?

それは、この二分類法を用いると、二十一世紀の日本社会が置かれている危機的状況がスッキリと見えてくるということである。すなわち、もともと「自我パイ一人食い不許可型」の社会であった日本は敗戦により、西欧で主流の「自我パイ一人食いOK型」社会へと変容を余儀なくされたが、もともと「自我パイ一人食い不許可型」の社会として設計されていたため、自我と自我は対立して当たり前という西欧的「前提」を直視することができず、対立が起こりそうだと問題を先送りして、軋轢(あつれき)を避けることばかり続けてきた。あげくに、「面倒なことには一切かかわりたくない」というのが社会一般の「思想」になり、それが今日の日本の危機を招いているのである。

頭山満、恐るべし。単純そうな右翼思想の蔭に日本社会の解読格子あり、である。

(鹿島茂・仏文学者、毎日新聞2011年2月24日朝刊)

 

※頭山 満(とうやま みつる):安政2年4月12日(1855年5月27日)~昭和19年(1944年)10月5日、明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥。号は立雲。

玄洋社は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在であり、後の愛国主義団体や右翼団体に道を開いたとされる。また、教え子の内田良平の奨めで黒龍会顧問となると、大陸浪人にも影響力を及ぼす右翼の巨頭・黒幕的存在と見られた。一方、中江兆民や吉野作造などの民権運動家や、大杉栄などのアナキストとも交友があった。また、犬養毅・大隈重信・広田弘毅など政界にも広い人脈を持ち、実業家(鉱山経営者)や篤志家としての側面も持っていた。

条約改正交渉に関しては、一貫して強硬姿勢の主張をおこない、また、早い時期から日本の海外進出を訴え、対露同志会に加わって日露戦争開戦論を主張した。同時に、韓国の金玉均、中国の孫文や蒋介石、インドのラス・ビハリ・ボース、ベトナムのファン・ボイ・チャウなど、日本に亡命したアジア各地の民族主義者・独立運動家への援助を積極的に行った。