singular points…特異点における日常の風景

 

Tuesday, August 03, 2010

【輝ける日本の未来への処方箋はあるのか?(仮説)】

今、日本で起きている少子超高齢化社会への急激な移行は、まだ何とか対処できる状況なのだろうか?より効果的な“処方箋”はこれから見つけることが可能なのだろうか?

まず、第二次世界大戦後の急激な人口増加の要因を挙げると

1.住環境における上下水道敷設などによる衛生状態の大幅な改善

2.医療技術の飛躍的な進歩

3.生活水準の向上により摂取する食物の栄養価アップ

上記により乳幼児死亡率の目覚しい低下を実現し、他の先進国に類を見ない平均寿命の大幅アップ=世界に誇れる長寿大国を標榜できるまでになった。

しかし、社会情勢の変化により人口増加は国が理想とする緩やかなカーブを描くことはできず、ついには深刻な人口構成の逆ピラミッド化を招き、更に少子化の進行により逆ピラミッドは歪さを増し、超高齢化社会からもはや逃げる術は無い状況となってしまっている。

今日の日本は、かつての覇権国家が衰退する際の状況とは異なり、団塊世代という人口統計上の巨大な集団が一気に生産人口から外れると同時に、生産設備の海外移転による産業の空洞化(=雇用の余剰)が進み、年々膨張し続ける巨額の社会保障費負担に耐えなければならないという現代史上かつて無いほどの厳しい状況に直面している。

「デフレさえ克服すれば、生産が増え、輸出も伸び、雇用が拡大し、労働者の給与所得(可処分所得)もアップし、内需も拡大するので、持続的な成長の持続が可能だ」という楽観的な見方もあるが、予想もできないような極端な円安が常態化でもしない限り、企業の生産設備の海外移転・企業の現地化の流れはこれから更に加速度を増し、完成品・部品を問わず生産拠点の国内消失を避けることは難しく、生産増・輸出増による雇用創出は叶わず、それに伴う不安定な雇用情勢は一層の少子化を招き、暗い将来展望を描くことしかできない。デフレ克服=成長持続という発想は、所詮絵空事でしかない。

そもそも、もはや成長の持続という概念自体が現実不可能なほど陳腐化しているのかも知れない。国家運営自体のイノベーションが必要なのか、国民が求める生活水準を低下させ幸福度を改めて定義し直すべきなのか、移民政策を質・量ともにドラスチックに転換させるべきのか、もはや国富は求めず緩やかな国家の衰退を図るべきなのか…

今の日本の国家運営者達が「カルテへの記載事項が多過ぎて、速やかな診断ができず、適切な処方箋をなかなか発行できず、死に行く患者を目の前にしても何も感じない無能なドクター集団」ではなく、“優秀なドクター集団”であることを祈る。